PRESSMAN | 共栄堂

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社史・沿革

他人を責めず誠心誠意事に尽くす

中谷潤
お客様にベストの提案を

経済の成長もピークに達し、下り坂が訪れる。印刷をめぐる環境も大きく変化する。
印鑑やゴム印の販売には限界があり、1988(昭和63)年の全面改装を期に「駅ビルかわさき」から営業所を撤退。逆に多様化する顧客の要望に応えられるように企画・デザイン部門として株式会社プレスマンを設立した。さらに、平成2年、川崎駅西口大通りに地上8階の現本社ビルを竣工した。

そして、1994(平成6)年、経営も澗から長男の克宏にバトンが渡された。バブル崩壊後の印刷業界を見据えた選択と集中である。
まもなくインターネットによる通販サイトも立ち上げた。
パソコンの普及と技術革新で大きく変貌した印刷業界。
「コンピュータのおかげで仕事がものすごく楽になったと思いましたが、結果として逆に利益が上がらなくなりました。軽印刷でやっていた仕事の発注が来ると費用を考え、『パソコンでできるんじゃないですか』と、こちらからお勧めしてしまいます。お人好しかもしれませんが、お客様にとってどちらがいいのか…」
インターネットの普及で印刷そのものの需要も減少し、写植や製版などの専門職がどんどん淘汰され、短納期・低予算・高品質が求められている。カラー印刷を行う4色機には億単位の投資が必要であり、それを使いこなすスタッフも必要だ。「中途半端に4色機を入れてもペイしません」。それでも共栄堂が導入しているのには理由がある。

「顧客に必要とされる質と量、そして、コストと時間を実現するには、そのための設備が必要です」

とりわけ変化の激しい情報技術の世界には多くの選択肢があふれている。かつて、寝ずに新聞社に活字を届け、戦地でひたすら印章を彫っていた潤。地元企業のために夜遅くまで働いていた印刷職人やタイピストたち。そして、現在も高いスキルで美しい印刷物を作り出す少数精鋭のスタッフたち。共栄堂は川崎の人々や街が発信する情報を地道に支えている。

顧客のニーズに真摯に応えるその姿勢を、企業100年に向けてどこまでも貫いていくだろう。

顧客のニーズに応えるべく4色機、CTPと設備投資も欠かさずに行った。
顧客のニーズに応えるべく4色機、CTPと設備投資も欠かさずに行った。

オンデマンドプリンターも積極的に導入
オンデマンドプリンターも積極的に導入

通販サイト「ラクプリショップ」
通販サイト「ラクプリショップ」

書籍『かわさき長寿企業』にも紹介されました
書籍『かわさき長寿企業』にも紹介されました

顧客のニーズに応えるべく4色機、CTPと設備投資も欠かさずに行った。
顧客のニーズに応えるべく4色機、CTPと設備投資も欠かさずに行った。

オンデマンドプリンターも積極的に導入
オンデマンドプリンターも積極的に導入

通販サイト「ラクプリショップ」
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書籍『かわさき長寿企業』にも紹介されました
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